中学三年生の頃だったと思います。当時ロッキード事件判決が近々あるということで連日、田中角栄元総理がテレビにでていました。私はあの独特のしゃべり方、仕草に大変興味を持ったのです。一体、彼はどういう人だろう?これが政治家に興味を持った第一歩でした。 その後、大学時代は選挙のアルバイトをするなどしました。いよいよ政治に対する思いは募り、「政治に関わって仕事をしていきたい」と考えるようになりました。
大学四年生になる春休み、就職活動の時です。私は意を決して当時衆議院議員だった塚本三郎先生の門をたたきます。 「秘書にしてください」どこの馬の骨ともわからない若造が、頼んでもダメかなと思ったところ「じゃあ明日からきなさい」とあっさり受け入れてくれました。この塚本三郎先生の「じゃあ明日からきなさい」の一言が私の将来を決定づけました。私は大学生でありながら、秘書という二足のわらじをはくことになったのです。「衆議院議員 塚本三郎秘書 藤沢ただまさ」この名刺を手にしたときの感動は今も忘れることができません。塚本先生のもとでいろいろなことを学び、教えていただきました。今、政治家としてやっている基礎はこのときできたものだと思います。
さて、そして二年の歳月が流れました。
平成7年の1月、私の前任の市会議員の先生が四月に行われる選挙に出馬しないと表明されました。急な候補者探しが行われましたが、選挙まで二ヶ月しかないこともあり、なかなかみつかりません。そんなとき、当時25才だった私に白羽の矢が立ちました。これも運命の巡り合わせでしょう。選挙まで時間があれば、もっとらしい人がなっていたかもしれません。私にとって本当に千載一遇のチャンスでした。
50日間の選挙運動を経て、私は運良く当選しました、多くの人に支えられての当選でした。
当選した夜、家に帰ったとき、初めて「大変なことになった、しっかりと勉強しなくてはみんなの期待にこたえられないぞ」と思ったものです。以来なるべく勉強することを心がけてきました。
ここまで四期16年間議員をつとめさせていただきました。
巡り合わせに感謝し、支えてくれた多くの人々に感謝し、これからも名古屋のため、日本のために働いていきたいと思います。
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